「不便益」という概念
以前 知り合いから「面白いよ、コレ!」と紹介され「旅と学びの協議会」というオンラインのシンポジウムを拝聴させていただいたことがある。
その中でとても印象的だった言葉がこの「不便益」という言葉。
体験型の商品を「便利(物質的な豊かさ)⇔不便」と「精神的豊かさを味わえる⇔不快」を軸に考えた4つの概念に分類し、説明。
・便利益(便利で快適・かつ精神的に満足できる)
・便利害(便利で快適・しかし精神的満足はいまひとつ)
・不便害(不便で・かつ精神的満足もいまひとつ)
・不便益(不便・なのに精神的に満足できる)

「不便を積極的に活かし、そうすることでしか得られない効用」というが、不便益。
アジアが好きな自分にはこの意味がとてもよく理解できて、もしかして世の中の<インド好き>とかはほとんどこの快感を味わいたいがために旅行を繰り返しているのではないか、とさえ思った。
世界的なネットの普及で、世の中ここまで便利が浸透してくると、何もかもがスムースすぎてつまらない、こともある。恋愛だってそうだ。困難な環境だからこその熱い盛り上がりがある(例:ちょっと古いけど「愛の不時着」をはじめほとんどの韓流ドラマ)
だからこれからの時代は、<不便益>こそが、多少お金を払ってでも体験したくなることなんじゃないだいろうか?そしてなによりヒトを育てていくのに重要な要素がいっぱい含まれているような気がする。
僕は、この不便益こそが旅行の魅力だと思えてならない。
「旅は不便益そのもの」だ。
言葉もお金も常識も文化も、そのまんまの自分ではまっすぐ歩けない。
食事も食べたいものが見つからなかったり、平和な日本と違って、身の危険を感じることもある。
その半ばヒリヒリするような緊張感と日本では決して出会うことがなかったであろう景色やカルチャーに触れた時の感動はかなり大きい。
自分の五感も研ぎ澄まさざるを得なくなる。
だからこそ若くてまだまだ知識の無い自分に、世界のたくさんの刺激に触れておくことは間違いなく<一生の宝>なる、と思っている。年齢を経たら経たで、知識と経験が、また面白さに深みをつけてくれたりする。
たまに昔行ったハネムーンや親子旅行のことなどを友達から聞いて、「え~そんなところ行ったの?」「素敵なとこだよねー」などと返事をしていて、友達から「ゆうたに手配してもらったんだよ(笑)」と言われたりすることがある。
想い出は消えない。スマホには残せなかったけど、旅先で見た一瞬の風景がずっと頭に残ることもある。

たまーに「旅行はショッピングと違って、何にも残らないから行かない」
などという人がいたりして、驚くことがある。
そういえば以前 僕はコロナで休職中に介護ヘルパーの資格を取り、介護のお仕事をお手伝いした時に、先のおばあちゃんが「押入れを整理していたら、昔行った旅行の日程表が出てきたの」と何冊かの旅行会社の旅程表を僕に見せてくれた。
そのおばあちゃんは今 半身麻痺の車いすだ。
エジプト、パタゴニア、キューバ、アラスカ・・・
「〇〇さん、中々すごいところ行ってますね!」
思わず口に出てしまった。
しかも日付を見ると、旅行に行ってからどれも10年たっていない。
「元気なうちに遠くに行っておこうと思って。」
「夕べテレビでパタゴニアをやっていて、すごく懐かしかった。」と嬉しそうに語るおばあちゃんなんて中々格好いい。
想い出は消えないし、無くならない。
そして、行けると気に入っておくべきだと、改めて思った。
「不便益」は<無くならないものが手に入る>気がする。
今後も僕の思う不便益について、せっかくなのでいくつか書かせていただきたいと思う。